現在でこそ証券会社というとスマートなイメージがあるが、ちょっと上の年代の人に聞くと株屋もっと露骨に言うと博徒のイメージが強いらしい。バブルの時期には有力大学の学生が就職を希望し、他業種からも転職が多かったが、その上の年代はけっこうえげつない人も多いようだ。造船や繊維にもある年代だけ優秀な人がいるというが同じようなものかも。田舎はやはり考え方の変わり方が(良い意味でも悪い意味でも)遅いために麻生さんのような発想になるのだろう。
日経などもいまでこそスマートなビジネスマンが読む新聞のイメージを演出しているが、かつては株屋さんの新聞だったそうだ。このへん、にっけい=日本競馬新聞なのかもしれない。最近では日本経団連新聞を目指しているっぽい。
最近では金融工学などといって高度な数学が使われていたりすると言われていて株屋さんっぽくない。だが携わっている人たちはこれらの理論が現象を記述しているとちっとも信じていないそうだ。実際の現象はあまりにも複雑すぎて解析ができないために、非常に強い仮定をおいて単純化したモデルのみを扱う。まずその仮定が強すぎて現実に合わない。しかも現実にあるいろいろな制約も複雑でモデルに組み込めない。それでもそれ以外にないために、この理論が使われている。まだまだ株屋さんが活躍する余地がいっぱいある。
下のブログはかつての野村證券の様子を書いている。読んでみると何かいまの先物屋のイメージが重なる。
ノムラ證券残酷物語
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